阿部寛の発言にネトウヨが噛みつく
1、概要
広島原爆の3日後に運転を開始した広島電鉄をテーマにしたドラマが今年8月に公開される。
このドラマの名前は「戦後70年 一番電車が走った」というものだ。
俳優の阿部寛が主演されていて広島電鉄の社員役を務めている。
このドラマの披露会見で阿部寛さんが「戦争は絶対にしないと後世に伝えないといけない」と発言したことにネトウヨが噛みついている。
つまりネトウヨの在日認定が始まったのだ。
2、管理人の感想
ネトウヨも低レベルだなと感じる。
「戦争反対」という考えにも様々な立ち位置があり一枚岩ではない。
サヨク右翼どちらの立場でも「戦争反対」というスタンスは一緒ではないのか。
戦争したくてたまらないのはいわゆる「武器屋さん」「紛争地帯で警備を行う会社」などの軍事産業だろう。
戦争反対にしてもそのための手段に色々考え方が表れているのかなと思うぞ。
サヨク系はとにかく話し合いが重要だと言う「性善説」的な立場だ。右翼系は抑止力が云々という「性悪説」的な立場だな。
それと、そもそも戦後70年の記念映画という特性からして披露会見で「私は戦争したいです」とはコメントできないのは当たり前だ。阿部寛さんは極めて無難な常識的な意見を述べたに留まっている
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3、阿部寛のプロフィール
阿部寛さんのプロフィールが気になり色々調べてみたら。
元々はモデルで芸能界に入ってその後俳優に転身したが中々仕事に恵まれず苦しい思いをしているようだ。
それで苦しい時代に生計を立てるための手段が「パチンコ」だったみたいねw
これはネトウヨが噛みつくぞwww
怒りの在日認定クルーーーー??
3人兄弟の末っ子として生まれる。横浜市立三ツ沢小学校、横浜市立松本中学校、神奈川県立白山高等学校、一浪を経て中央大学理工学部電気工学科卒業。
大学在学中の1983年、姉に勧められて優勝賞品である車ほしさに「集英社第3回ノンノボーイフレンド大賞」に応募し優勝。以降、雑誌『ノンノ』『メンズノンノ』のカリスマモデルとして活躍
1987年に映画『はいからさんが通る』で俳優デビュー(理由は、当時人気アイドルで阿部本人も大ファンだった南野陽子と共演できることから。サインをもらったとも話している)。
また、アイドルとして1988年にアルバムをリリース。同年以降は俳優を主として活動するも、ファッションモデル出身という肩書きと顔立ちから、ありきたりな(本人は当時の事を「フェラーリで乗り付けるような」と語っている)二枚目の役しか与えられなかった。しばらくは仕事に恵まれずパチンコで生計を立てていた。
情報源: 阿部寛 – Wikipedia
ニュースソース
黒島結菜(18)が29日、都内のNHKで開かれた主演ドラマ「戦後70年 一番電車が走った」(8月10日午後7時半)会見中に涙した。
1945年(昭20)8月6日に広島に原爆が投下された、わずか3日後から広島電鉄が運転を再開した実話を元にしたドラマで、電鉄の家政女学校の生徒として電車を運転した実在の人物・雨田豊子さんを演じた。
演じた感想を聞かれ「今日、見るのは2回目。自分の作品を見て、泣くことはないのに、ウルッとくる」と言い、左手で涙をぬぐった。
本編の最後に、広島電鉄家政女学校のOBとして講演会などを開く、現在の豊子さんらの映像が流れると、ウルッとくるという。
電鉄の復旧を目指して奔走する広島電鉄社員・松浦明孝さんを演じた阿部寛(51)は、松浦さんの息子と対面し、墓参りもしたという。「若い頃は、あまり感じなかったけれど、この年になって(戦争や原爆の話が)本当につらくて胸に刺さる。若い人に、戦争は絶対にしないと伝えないといけない」と力を込めた。
また電鉄家政女学校生だった小西幸子さんを演じた清水くるみ(21)は、幸子さんと対面した時を振り返り「当時のことや原爆投下の後のことをお話ししていただいた。
(撮影)現場は明るいけれど、悲しい現実を後世にしっかり伝えないと、という思いで演じました」と神妙な表情で語った。
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